
日本自然農業協会(以下「自農会」と言う)とは、いかにも大上段に構えた団体名だが、「自然農業」の極意を、この日本に蒔いた実績は、何人(なんびと)に引けを取るものではない。
その極意をひも解いて下さった趙漢珪(韓国籍)先生は、「自然農法ではなく自然農業」である、と口を酸っぱくした。その上で、自然農業の実践を志す人々に、単なる技術の習得だけでなく、その真相を究明する心の自立性を求めて、「基本講習会」など、寝食を共にした行動をこの間展開してきた。
趙先生の足跡は、日本の津々浦々に及び、自農会の門を叩いた日本の優れた有機農業家の数は少なくない。中には、趙先生が称えた、自然農業や土着微生物、天恵緑汁などの名称をチャッカリと自分のもの≠ノしている人さえいる。
趙先生は常々、自然農業の真髄は、醗酵及び微生物の応用(柴田欣志−酵素法の本意)、栄養周期説(大井上康−ブドウの巨峰開発者)、自然の実践(山岸巳代蔵−山岸会創始者)であると言ってはばからない。従って、趙先生が韓国人だからといって、この自然農業は「韓国式」ではない。あくまで自然が与えてくれた自然農業そのものである。
私は、この自然農業に接して、農業の素人≠ニは言え、それまで経験したことのない感動と衝撃を受けた。その「基本講習会」では、趙先生の話に耳をそばだて、貪るように聞き入った。「農業ッて、こんなにも素晴らしいものなんだ!」まさに森羅万象を覗き見たような錯覚にさえ陥った。同じような感動は、全国の優れた農民にも知れ渡り、そして自農会の前身「日韓自然農業交流協会」が生まれた。
しかしながら、農業の経済的地位は日増しに落ち込み、とりわけ日本農業衰退の構図は、産業としての農業の終焉を示唆している。ただ一方で、農業のもう一つの側面、環境や食の安全を最重要視した持続可能な農業や有機農業が、ようやくにして農業の柱になってきた。
まさに「自農会の大いなる出番到来」と言う時を迎えのだが、自農会そのものにも転機が訪れている。「感動と衝撃」の自然農業を、如何にして全国に広げるべきか、組織の運営をどう図ってゆくべきか…
そして今、自農会は最盛期よりこじんまりとしている。とは言え、趙先生の足跡をはじめ自農会には多くの財産≠ェ築かれてきた。やりようによっては、再び耳目を驚かすことは可能だ。
その自農会の会長に私が推薦された。前任者の泉精一さんは、日本有機農業研究会の結成にも関わった、日本有数の有機・自然農業実践者のお一人である。皮ごと食べた方がうまいミカンの味や、草山≠ノレモンが鈴なる愛媛中島「泉農園」のような傑出した財産を、もとより持ち合わせていない。任に相応しくないのは自分が一番よく知っている。
役得がある訳でもないから、ガラにもなく一所懸命やればやるほど苦労だけが待っていることは想像に難くない。
にもかかわらず、その任を引き受けたのは、自農会の実情を誰よりも?知っているからだ。公的肩書きが少しでも役立つのであれば、活用≠オて頂きたい。次へのワンポイント・リリーフでしかないが、一日も早い本命≠フ登壇を最大の念願として、ご挨拶に代えたい。
| 1935年 | 韓国水原に生まれる |
| 1962年 | 27歳で「水原畜産協同組合」組合長就任 |
| 1965年 | 30歳で渡日、3年間土着農業を研究 |
| 1966年 | 韓国に「省力多収穫農業研究会」発足 各地に自然農業を普及 |
| 1986年 | 「韓国自然農業中央会」会長就任 |
| 1992年 | 日本の「現代農業」に『感の農法』21回連載 |
| 1993年 | 日本に「韓国自然農業中央会と交流する会」 (現・NPO法人日本自然農業協会)発足 |
| 1995年 | 韓国農協中央会と全国部長に自然農業の教育契約 日本北海道穂別町の農業アドバイザー就任 。 その後、アジア・中国・マレーシア・モンゴル・タイ・フィリピン等に研究所・韓国自然農業文化センターなど設立。 現在、韓国自然農業協会名誉会長 。 日本の著作・「土着微生物を活かす」「天恵緑汁の作り方使い方」「趙漢珪氏講演録」「おばさんのふしぎな畑」(まんが・石橋えり子 ) |